Moka Yoshino

同じように描いているはずなのに、違ってしまった理由

黒猫の絵

同じように描いているはずなのに
どこか違う気がしていました。

 

それは、はっきりとした出来事というより
とても小さな違和感から始まりました。

 

1月展示会のテーマから馬を描こうと思ったとき
「ユニコーン良いかもしれない」と思って描き始めたのがきっかけでした。

 

 

最初は、これまでと同じように
コラージュを用いたカラフルな雰囲気で仕上げようとしていました。

 

 

でも描いていくうちに
どこか噛み合っていない感覚が出てきました。

 

色も、背景も、空気感も、

自分の中の感覚と少しずつズレていくようで
そのまま描き続けることができなくなりました。

 

 

(ちょうどその頃
陰と陽、どちらもそのまま見つめたいと思いながら描いた一枚がありました。

自分の内側にある、相反するものを分けるのではなく
そのまま同時に存在させるような感覚で描いた作品。

 

後から振り返ると
あの一枚が、ひとつの分岐点だったように思います)

 

 

それからしばらくの間
うまく言葉にできないまま、立ち止まるような時間がありました。

別の絵を描いたりしながら過ごしていたけれど、
心のどこかではずっと、「何かが違う」という感覚が残っていました。

 

 

これまでの私は
どちらかというと、希望ややさしさ、明るさ、きらめき
見た人の心が少し軽くなれるようなものを意識して描いていました。

 

それは自分の中にちゃんとあるもので、今も大切にしたいものですが、
同時に、それだけが自分のすべてではないとも感じるようになりました。

 

 

静かなもの。
言葉にならない揺れ。
少しだけ影を含んだ感情。

そういうものにも、ちゃんと触れてみたいなと思ったとき
逆に何を描きたいのかが分からなくなりかけました。

 

これまで描いてきた、明るさや光を感じるような作品も、
私を構成する要素で大切な一部であることは変わりません。

 

ただ、その上に
まだ言葉にならない揺れや、静かな感情も重なってきただけなんだと思います。

 

 

 

どちらかを手放すのではなく
どちらも含んだまま、今は描いています。

 

 

 

暗いものを描きたいわけではない。
でも、明るいだけでも自分の絵の世界が完成しなくて

じゃあ、自分は何を描きたいんだろう。

 

そうやって立ち止まったときに
ふと浮かんできたのは

「自分とちゃんと繋がったものを描きたい」という感覚でした。

 

ポジティブな面も、ネガティブな面も
どちらかを消すのではなくて
両方を見つめた上でそこにあるもの

 

その感覚に気づいてから
描き方が少しずつ変わっていきました。

 

 

「こう見せたい」ではなく
「ここにあるものをそのまま掬う」ように描くこと。

 

それが正しいのかは正直まだわかりませんが
少なくとも今は、その感覚から離れずにいられていて

 

今描いている作品たちは、
そうして見つけた感覚の中から生まれてきたものです。

 

まだ言葉になりきらないものを
そのまま残すように描いています。

 

 

もしどこかで
同じような揺れや感覚を感じることがあれば、嬉しいです。
白猫の絵

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